Monthly Archives: 7月 2014

7/29(火)は「談志DNA落語会」でお待ちしております。

立川談志の元直弟子三名の二つ目が集結する落語会、いよいよ二日後の7月29日に迫ってまいりました。
 まだ残席はございますので、みなさまふるってご参加ください。
 ただでさえ興味深い会ですが、出演者のみなさんと相談し、さらに二つの趣向を追加いたしました。

 その一、演目は立川談志ゆかりのネタに固定。

 演者三名が、それぞれ師匠・立川談志にゆかりのある演目を語ります。そこに込められた思い、そして噺に強烈に表れるであろう立川流の遺伝子を、どうぞ存分にご堪能ください。

 その二、師匠と自身の修業時代を語る座談会を実施。

 香盤は、若い順に立川談吉、立川平林、泉水亭錦魚と上がります。三演者の出番が修了した時点でもう一度高座に集まり、公開鼎談会を行う予定です。ここでしか聴けない師匠・立川談志のエピソード、弟子だけが知る立川流の歴史などについて、楽しいお喋りが繰り広げられるでしょう。おそらく今後しばらくは聴くことができない三者の鼎談だと思います。どうぞこの機会を逃さずにご参加ください。

 会の詳細、お申し込みはこちらまで。
 また杉江松恋のフェイスブックにも特設ページを準備してあります。

 それでは7月29日にお会いできることを楽しみにしております!

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7/5立川談慶独演会「談慶の意見だ」 「お見立て」「抜け雀」

以前から進めてきた立川談慶独演会の第一回である。先行している立川談四楼独演会は「真の深夜寄席」ということで洒落のわかる大人の社交場という意味がある。それに対しこちらは談慶さんが新しいことに挑戦していく「実験の場」だ。
 ファンを大事にする談慶さんらしく、大勢のお客が詰めかけてほぼフルハウスになった。

 以下は演目。演者はすべて立川談慶である(ここから敬称略)。

 絵手紙漫談
 お見立て

 中入り

 抜け雀

 事前告知で落語の他にもう一つ趣向がある、と謳っていたのがこの絵手紙漫談だ。談慶には絵手紙という特技があり、『談慶の意見だ』(信濃毎日新聞社)という著書もある。それを会場内のモニターにそれを一枚ずつ映写し、談慶がコメントをつけていくというもの。いわゆるフリップ芸を想像していただければいいと思う。
 今回は初めての試みということで手探り状態だったが、会場の反応もよく、これはいけるという感触をご本人も掴んだようだ。この落語会の名物になりそうなので、次回お越しいただく方はぜひ楽しみにしていただきたい。
 ちなみに会場では、絵手紙のセットも販売してみた。その一枚はこんなのである(談慶師撮影の写真を借用)。
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 中入りのときに「ASKA容疑者保釈記念です」と言ったら、よく売れた。

 さて本題の落語のほうだが、一席目は「お見立て」である。吉原には廻しという制度があり、一人の妓が一晩に複数の客をとった。均等に遊ばせてくれるわけではなく、当然客あしらいにも濃淡がある。気に入らない客であれば相手にされないこともあるわけだ。当然それには不満も生じようが、うまくしたもので文句を言うのは野暮だという殺し文句があった。金を払って振られていれば世話がないが、そういうものだったのだろう。
 ところがここに、金があって情もある客がいる。花魁の喜瀬川が「年季が明けたら夫婦になろう」と言った約束も無邪気に信じている。だがそれは真っ赤な嘘であり、当の喜瀬川はその杢兵衛大尽を蛇蝎の如く嫌っている。ある日ついに、その席に出るのが絶対に嫌だと言い出し、若い衆に適当な嘘をついて追い返してくれとだだをこね始めるのである(廻しがあるわけではなく、のんびりと煙草をふかしながらのわがままなのでなお始末が悪い)。その無理難題を担わされた若い衆が純朴だが自分の思いを遂げるまでは脇目もふらない杢兵衛大尽と花魁のわがままの間で困り果てる、という噺だ。

 本日は可愛らしい中学生のお客さんがいたもので、談慶はかなり言葉を選びながら噺に入っていった。冒頭に「これはストーカーをいかに封じるかという話だ」という演者の解釈があっての口演である。これが談慶の特徴で、自身の解釈をわかりやすく客に伝えるようにしている。師匠談志譲りの手法であるが、初めて落語を聴くようなお客にとっては、切れ目を入れて噺の構造を見せるような効果があると思うのでいいのではないか。もっともこの噺、いちばん好人物に見えるのはストーカーの汚名を着せられた杢兵衛大尽なのである。

 喜瀬川はとことん厚かましくしれっとしており、若い衆が追いつめられてどんどん疲弊していく。そのコントラストが本編の楽しみどころだろう。最後の落ちの仕込みがやや急ぎ気味に見えたが(杢兵衛大尽を連れて墓参りに行くくだりに落ちのネタを仕込むやり方なのだが、そこが少し早口であった)、他は問題なし。結構な一席であった。

 中入り後は「抜け雀」である。談志はやらなかった名人伝の一席で、五代目古今亭志ん生の得意ネタであった。東海道の小田原宿に汚い身なりをした男がやってくる。士分のようなのだが、明らかに一文無しなのである。当然宿屋の客引きは彼を無視するが、相模屋という宿屋の主が彼を招きいれてしまう(客が「わしに声をかける男がおったか。こういう(間抜けな)者が社会を下支えしておるのだな」と述懐するのがおかしい)。

 男は一文無しなのでしばらく酒ばかり飲んで暮らしている。宿屋の主は婿養子で女房に頭が上がらないのだが、ついに言い負かされて男に宿賃を貰いにいくことになる。男はそこで自分が一文無しであることを明かし、職業は画工であるので絵で支払うと言い出すのだ。そこにあった無地の衝立に五羽の雀を描き、一羽一両で五羽で五両だと宣言、自分が戻るまでこの衝立を売ってはならんと言い残して彼は上方へと向けて旅立って行った。この衝立の雀が、朝日を浴びると絵から脱け出し、外に餌をついばみに行くのである。評判を聞きつけた客によって相模屋はおおいに潤い、さらに小田原藩主までもこの衝立を見物にやってきて千両という高値をつけるに至る。そうやって左団扇で相模屋が浮かれているところに、今度は年配の男が訪れてくる。その男から相模屋は衝撃の事実をつきつけられるのだ。

 談慶が自家薬籠中のものにしている一席である。談慶の「抜け雀」は、まず相模屋がおかしい。彼はなぜか客引きをすると一文無しばかりを捕まえてしまうのである。女房曰く「うちは奇跡の旅籠って言われてるんだよ。ここ一年一文無しばかり泊めているから。それでなんとかなっているのが不思議だって」。なぜなんとかなっているのかというと、一文無したちが不思議に芸達者で、画工のように何かを残していくからである(画工の泊まった部屋の調度が一文無したちの置き土産だけで出来ている、というギャグが笑える)。この相模屋の亭主がキーマンで、画工が一文無しであったことを女房に告げるときに「あのお客はわかりやすく言うと、お客じゃなかった」とおそるおそる言ってみたり、衝立から雀が抜けだすことを近所に触れて回って「相模屋さん、ついにおかしくなっちゃった。あんなにおかみさんにやかましく言われてばかりじゃねえ」と同情されたり、おっちょこちょいで小心者で、自分の出来があまりよくないことを自覚しているという、愛すべきキャラクターである。

 さらに談慶は、この噺の隠しテーマとして「親子の情」を取り入れた。これは画期的な工夫だと思う。「自分たちに子供がないから、最近では雀たちが我が子のように感じられてきた」と相模屋が吐露するのがいい。彼は雀たちに「チュンの助」などとそれぞれ名前をつけて可愛がってもいるのだ。だからこそ後から訪れた老人に「衝撃の事実」をつきつけられると、雀たちが心配になってしかたなくなる。このエピソードが伏線となり、オリジナルの落ちにつながっていく。本来の落ちは旧くてよくわからないものだが、談慶の落ちは現代人の心の琴線にも触れるであろう、納得のいくものである。機会があれば、ぜひ聴いてみていただきたい。

 ちなみに今回わかったことが一つ。最初に登場する画工は江戸から上方へ向けて旅をしている。一文無しなので宿に泊まることもできず、おそらくは戸塚か藤沢あたりで前夜は野宿をしたのであろう(本人がそう言っている)。しかし江戸から小田原宿までは、昔の人であれば二日でたどり着くであろう距離だ。野宿をしたのも一泊きりである。つまり彼が汚いなりをしているのは旅の汚れではなくて、普段からそういう尾羽打ち枯らしたかっこうなのだ、と解釈すべきだと思う。その証拠に噺の終盤で西国から戻ってきたときは、長旅にもかかわらずぱりっとした装いなのである。そこまで疲弊した状態から長旅に出ようと決意したというのは相当のことがあったのではないかと考えられる。彼を江戸から追いやったものは何か、ということが私には気になった。

 終演後はいつもの通り宴会である。談慶さんはお客さんを大事にするので、とてもよい雰囲気の会となった。次回は9月13日(土)の開催、トリネタは「井戸の茶碗」に決定している。ぜひみなさんもお運びを。
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本日は立川談慶独演会「談慶の意見だ」開催日です!

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 今週はあんまり落語会行ってないなーと思ったけど、その欲求不満を解消させていただきます。
 トリネタは「抜け雀」。他に落語2席+αの予定ですが、談慶さんは他でお客さんがあまり見たことがない落語会をお見せしたいと意気込んでいるので、どんなことになるのか楽しみです。
 私はいつもどおり定位置の下足箱前におりますので、ご用の方はお気軽に声掛けください。

 ちなみに、レイアウトをいじればまだ当日券は出せると思います。急に予定が空いた、落語が聴きたくなった、という方は新宿五丁目ビリビリ寄席へいらしてください。

 詳細はこちら

6/28(館林)談四楼・鶴瓶二人会 「三年目」

なかなか得がたい体験をした。
 群馬県館林で立川談四楼さんと笑福亭鶴瓶さんが二人会を開かれるという情報を聞きつけたのが一月前のことである。談四楼さんはもちろん聴きたいし、最近の鶴瓶落語がどうなっているのかにもたいへん興味がある。ようようのことでチケットを手に入れたときには、至福そのものであった。

 しかしスケジュールの確認をして愕然となる。その日は17時半から始まる、本格ミステリ大賞贈呈式の司会をしなければいけないことになっていたのである。落語会が始まるのが14時、終わるのが16時40分である。全部聴いていてはもちろん間に合わない。この贈呈式、私は絶対に欠席できないのである。なにしろ、司会役を務めることになっているのだから。

 自分の迂闊さを呪ったが(実はもう一件バッティングしていて、そちらもお断りした)、重なっているものは仕方ない。とりあえず館林には行ってみることにした。肚積もりとしては、

・二人会というからには、二席ずつか、どちらかが一席で合計三席ということになるだろう。
・とすれば中入り前に談四楼・鶴瓶が一席ずつ上がれば、二人とも聴ける算段である。
・口演中に抜けるのはさすがに失礼なので、中入りで脱け出して帰ろう。
・会場は館林駅から徒歩で20分、タクシーで5分の距離だが、場合によってはタクシーを会場前に待たせておこう。

 というような算段である。
 ちなみに拙宅から館林までは約2時間、館林から贈呈式の会場までも約2時間、往復4時間かけて1時間落語を聴きに行くことになる。なんて贅沢な落語会!

 そんなわけで28日の土曜日、13時2分北千住発の東武鉄道特急「りょうもう17号」の乗客になったのであった。
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 小旅行だし、昼を食べる時間がなかったので駅弁を購入した。この「なつかしの18品目弁当」はご飯が足りなくなるほどおかずが充実した、いい弁当である。北千住駅1・2番線ホームの先に特急専用ホームがあるのだけど、その手前の売店にある。東武鉄道の弁当は侮れない実力だ。

 駅弁を食べてしまうともう館林到着。1時間も乗っていないのである。駅前でタクシーを拾って会場である館林市三の丸芸術ホールに着いたのが13時58分、開演ぎりぎりである。係りの方の誘導に従って席に着いた。
 前座は立川談四楼弟子の寸志である。「やかん」を軽快に喋って客席を暖め、お役御免となった。

 続いて上がった立川談四楼が「鶴瓶さんがいかに忙しく日本中を飛び回っている落語家か」という話題から噺を始める。この6月28日の午後だけが奇跡的にすっぽりと空いていたのだという。そして、「お後は鶴瓶さんが落語を二席」との一言がある。先に談四楼が上がっていることからしても、一席・二席で三席の勘定か。思わず時計を見ると、すでに14時20分である。17時に東京に戻っているためには、15時35分のりょうもうに乗ってとんぼ返りしなければならない。ということは鶴瓶は聴けないことが確定? いやいや、この後鶴瓶が上がって中入り、そして長講一席という可能性もある、と素早く頭の中で計算を巡らせた。さっきのタクシーのレシートで無線の番号は調べてある。とりあえずぎりぎりまで落語を聴こう。
 談四楼が結婚式の枕を振り始めた。

 結果から書いてしまうと、鶴瓶は聴けなかったのである。談四楼が一席終わったところでそろそろ15時。中入りの告知はなく、寸志が釈台を運んでくるのが見えた。ということはこのまま鶴瓶が上がって二席連続なのだろう。諦めて席を立った。二席連続ということになると、噺の切れ目でも立てない。隣のお客さんに迷惑だし、なにより演者から見えたときに集中力を削ぐことになるからだ(自分の噺がまだもう一席あるのにお客さんが帰りだしたら、繊細な演者なら投げてしまうだろう)。
 外に出てタクシーを呼び、館林駅に戻った。
 そして駅前の狸に見送られながら、帰途についたのである。
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 負け惜しみで言うのではないが、談四楼が演じた「三年目」は結構であった。怪談の範疇に入るが、
決して怖い噺ではなく、むしろ微笑ましい印象が残る。仲睦まじい夫婦の妻が病を得てしまい、死の床に就く。夫はほうぼう手を尽くすが、みるみる病人は弱っていく。あるとき彼女は枕頭の夫に、死ぬのは運命だから仕方ないが、自分が目を瞑った後に夫が後添いをもらい、同じように可愛がるのかと思うと悔しくて仕方ない、と告白するのである。夫は彼女の気を休めるために一つの約束をする。自分はこの店の跡取りなので確かに縁談を世話されるかもしれないし、断り切れないこともあるだろう。しかしそうなったら、お前が化けて出てくればいい。婚礼の晩に先妻の幽霊が出てくれば悪い噂が立つし、縁談の世話の仕手もいなくなるだろう。そう言ってきかされたのち、病人は安心したのか、帰らぬ人になってしまう。

 これが序盤の展開で、そこから予想通り縁談が持ち込まれる、婚礼の晩になる、というのが中盤。しかし先妻の幽霊は出てこず、そのまま三年の歳月が経ってしまうのである。

 噺の後半は、新しい妻と、生まれた子供と一緒に主人公が先妻の墓参りに出かけ、帰ってくるというところから始まる。その晩になって主人公がしみじみと「あれが生きていればこうして子供が生まれて仲良くしていられたものを、死ぬ者貧乏というが本当にその通りだ」と述懐する場面が私はお気に入りである(談四楼の台詞にはなかった)。
 昭和の名人では六代目三遊亭圓生の口演が有名だが、私は五代目古今亭志ん生(共に故人)も好き。墓参りに行った主人公が胸のうちでそっと「婚礼の晩に出てくるといったけど、出てこないじゃないか。どうしちゃったんだい。向こう(あの世)にいい人でもできちゃったのかい」と言うのがいかにも志ん生らしくていいのである。最後のほうで先の女房の幽霊が出てきて後添いをもらった恨みを言うと、「恨めしい? うらめしいってのは裏に飯屋があるからうらめしやって言うんだ」「そんなむく犬のケツに蚤の入ったようなことを言っても、もう遅いよ」「あたしゃ、幽霊に掛け合うよ」とぽんぽんいいフレーズが飛び出してくる。そこに仲の良かった夫婦ならではの甘えや拗ねた様子も見えて好ましいのであった。

 談四楼の「三年目」は大人の恋愛噺になっている。最初に結婚式の枕をふっているのもそのためで、冒頭にはいかに最初の夫婦が似合いの二人であったかということが語られる。また後添いをもらった婚礼の晩の演出もよく、主人公は新妻を先に寝るように促して先妻の幽霊を待つ。妻は間違いなく初婚だろう、恥じらいながら床で夫がやってくるのを待つ。お互いに違う相手を待ちぼうけしているわけである。そうしたちょっとしたすれ違いが噺の聴き所になっている。演出はやや地噺(演者のナレーションが登場人物の台詞と同格の重みをもって噺の構成要素になる)に近く、談四楼という演者のキャラクターもたっぷりと味わうことができた。往復4時間がこの一席を聴くためにあったのだと思えば、行った甲斐もあるというものである。

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7月5日(土)、立川談慶独演会「談慶の意見だ」まだまだ予約受付中です。
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7月29日(火)、立川流二つ目の会は元・談志直門の3人が集結します。「談志DNA落語会」
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6/27(新宿)立川流若手新宿道場 「勘定板」「蛙茶番」「よかちょろ」

毎月金曜日恒例の二つ目落語会である。以前は下の永谷ホールでやっていたと思うのだけど、今年から二つ目限定の勉強会に仕切りなおして、8階の部屋で開催されることになった。二十人も入ればいっぱいになってしまう部屋で、入場料が千円なので、おそらく会場費を払えばトントン、ほぼ持ち出しに近い状態でやっているのではないかと思う。若手のみなさんにはできるだけがんばってもらいたいので、これからは可能な限り足を運ぶことにします。実は私もお初で、この日は立川平林さんに用事があって足を向けたのであった。

 さて、番組は以下のとおり(ここから敬称略)。

 平林 勘定板
 幸之進 蛙茶番
 志らべ よかちょろ
 志獅丸 青菜

 前座はなし、中入りもなしの形式である。

「勘定板」は田舎者が江戸見物に来てカルチャーギャップに遭遇する、という噺である。ご不浄、はばかり、パウダールーム、なんでもいいのだが、とにかくそういうところの話題なので、要するに下ネタを扱っている。勘定板というのはもし本当にあるのであれば、閑所板と書くのではないかと思う。閑所とは「静かなところ」の意で、やはり雅語の一種である。ある地方では沖に板が浮かべてあり、住民は催すとそれを手繰り寄せて用を済ませる。沖に戻してやると自然の水洗で綺麗になる、という説明が最初に入るのだが、本当にそういう地域があるとは聞いたことがない。落語の創作なのではないか。その地方から来た二人連れが投宿し、「カンジョウをぶちてえ」と言うと宿の物は当然お会計だと思うから「最終日にまとめて」と応じる。そこから勘違いの笑いが起きるというネタである。
 平林はこの日、かなり下のほうに振って演じていた。二人の客が言うカンジョウをお金のことだと信じて疑わない番頭が、「あれはいい匂いのするもので、枕の下に入れて寝ることもあります」と、とんだ変態にされているのが可笑しかった。平林は7月29日に二つ目の会にも上がってもらうので、乞うご期待(いちばん下のリンクから落語会の情報があるので、見てください)

「蛙茶番」は鳴り物などが入らないが芝居噺の範疇に入る。とあるお店で素人芝居の興行がある。はねっかえり者の建具屋の半次が、役者ではなく舞台番(行儀悪い観客を制する役目)にされたのがおもしろくなくてやって来ない。仕方なく番頭に知恵をつけられた小僧の定吉が、半次が岡惚れしている小間物屋のみい坊を餌にしておびき出しに行くと、という中盤の展開から、最後は結構とんでもない展開になる。
 これにも一種の下ネタが入っているのだが、亡くなった十世家元・桂文治(先代)が演じたものが私は好きだった(音源が販売されている)。幸之進はあまり受けない「観兵式」の枕なども含め、基本に忠実な形で演じていた。ネタ下ろしをしてからまだ日が経っていないという印象だ。

 志らべが出てきて「立川流のツートップ、ただし身長が」とやって客席を湧かせる。たしかに幸之進と志らべ、大きいのである。180cm超の身長は落語家にとってマイナスになることも多いだろう。舞台栄えする体格は背が低くて顔が大きいという、世間で言ういい男の基準とは逆になっているからだ。がんばって身長を使いこなしてもらいたいものである。長めの枕の後、本題に。
「よかちょろ」は家元も十八番にしていた、若旦那ものの噺で「山崎屋」の「上」に当たる。200円の集金に行った幸太郎が吉原にそのまま繰り込んだらしく、2日も3日も戻らなかった。頭に来た旦那がその金を何に使ったかと詰問すると、幸太郎は「髭剃り代が五円」「お次はよかちょろを四十五円と願います」とくる。よかちょろは当時の俗謡らしいのだが、堅物の父親はそれとは知らず商品と勘違いし、商売人の興味を出して「そういう儲かるものがあるなら裏に蔵が空いているからうんと仕入れたらいい」と残念がる。その目の前で幸太郎が得々と「よかちょろ」を唄うのである。遊び人の若旦那数ある中で、落語界一適当で、親不孝なのがこの「よかちょろ」の若旦那だろう。
 故・八代目桂文楽(先代)の十八番で、家元も得意にしていた。志らべは基本に忠実に演じていたので、好感を持ったが、落ちは不発であったと思う。もっとも「よかちょろ」の落ちは、唐突に幸太郎の母親が出てきて父親とのやりとりでサゲるという不自然なものなので、それを改善しようという試み自体は評価できる。

「青菜」については前回書いたばかりなので省略。これは失礼な物言いには当たらないと思うが、大ベテランの小里んと伸び盛りの志獅丸とを二日で聴き比べると発見がある。子供のころ先輩に「なるべく寄席に足を運んで有名ではない落語家を聴いた方がいい」と教えてもらったものだが、つまり完成してしまった芸ばかりではなく、可塑性の高い状態の落語を聴くことによって自分の軸を作ろうという趣旨だったのだと思う。志獅丸は口調もよく、非常に聴きやすい「青菜」であった。それでも小里んの「青菜」とは細部で違いがあり、芸の蓄積ということを思い知らされる(たとえば志獅丸の旦那は団扇を使わないが、小里んは使っていた。『五代目小さん芸語録』によれば、小さんには植木屋をときおり扇いでやるほどの余裕があったという)。
 志獅丸の演出では押入れから飛び出してきた女房が、植木屋の言いつけを聞いてからもう一度押し入れに戻っていくところが可笑しかった。前述の通り口調が好みの二つ目なので、志獅丸の落語は機会があればもっと聴くことにしようと思う。

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6/25第54回人形町らくだ亭 「水屋の富」「青菜」「首ったけ」

これも一週間前の落語会のことを思い出しながら書いている。
 人形町らくだ亭は、柳家小満ん、柳家さん喬、五街道雲助、春風亭一朝、古今亭志ん輔の四真打ちがレギュラーとなり、このメンバーとゲストを交えて毎回の落語会を構成するという形式の定例落語会だ。
 今回の番組は以下の通り。

開口一番 林家なな子 味噌豆
立川志の春 権助魚
水屋の富 柳家さん喬

中入り

青菜 柳家小里ん
首ったけ 柳家小満ん

 林家なな子は正蔵の五番目の弟子ということである。口調はまだ芸人のものではなかった。がんばってもらいたい。

 立川志の春は志の輔の弟子で、イェール大卒で商社勤務があるという異色の経歴がある落語家である。「権助魚」は旦那のお囲い者がどこの誰なのか尾行してつきとめてこいと奥様に言われた権助が、その旦那に倍の小遣いをもらって寝返る。旦那はお得意と会って柳橋に繰り込み、興が乗って大川で網を打ち、その後は湯河原に商用に行った、という口裏合わせをそのとおり喋ったのはいいものの、肝腎のところで失敗をしてしまう。奥様の前での言い訳が珍妙で、ナンセンスの雰囲気漂う噺である。

 次のさん喬「水屋の富」が私は良かった。この日に上がった三人の真打ちは全員が故・五代目柳家小さんの直弟子であり、さながら一門会の様相を呈していたのだが(志の春は、小さん→談志→志の輔という曾孫弟子にあたる)、柳派の「ちょっとした台詞や所作に登場人物の内面が現れる」という特長をそれぞれの形で背負い、高座に格調の高い、しかし心地よい空間を作り上げていた。

「水屋の富」は劇的な展開のある噺である。水屋というのは、海に近くて水の悪い一帯に井戸水を運搬して販売するという職業である。荷が荷であるだけに重労働なのだが、なにしろ水が無ければ人は生活できないのだから、毎日決まった時間に得意先を訪れなければいけない。自身の得意先を周っていれば食いはぐれはないが、逆に言えばそれらの家に縛られる生活をしているということでもある。そうした厳しい職業の人であるということが噺の前提にある。

 そうした水屋の一人が、仲間に言われて買った富くじに当たる。金に縁がない水屋が信じられない幸運に動転するくだりは「宿屋の富」と同じ演出なのだが、そこから八百両(半年待ってもらえば千両なのだが、今すぐだと立替代を差し引いて八百両と説明が入る)を持って家に書け戻り、長屋のどこに金を隠そうかと思案するあたりまでが逐次丁寧に演じられる。富くじに当たったところまでは幸せな噺という雰囲気なのだが、この金を隠すあたりから雲行きが怪しくなってくる。なにしろ、どこに隠しても盗人に見つかってしまいそうで、水屋は気が気でないのである。結局畳を上げて縁の下に隠すことになる。竹竿を持ち出して、その八百両をつつき、確かにそこにあるということを確認するのだ。

 ここからが「水屋の富」の聞きどころで、水屋が入眠すると枕頭に盗人が現れる。ぶすっと刺されて、「ああ、夢か」と気づくまで1セットで、水屋はすっかり眠れなくなってしまうのだ。昼は昼で、八百両のことが気にかかって商売どころではない。そのため得意先に叱られ、青菜に塩の弱り目になって帰ってくると、またぞろ夜の悪夢が待っていて、といった具合に妄執と不安の日々が始まってしまう。商売を辞めて家にいられれば不安は無くなるのだが、水屋という稼業がそれを許してくれないのである。

 水屋が悪夢を見るところと商売に出かけようとして疑心暗鬼にかられるくだりはカットバックしながら語られていき、客は水屋の混乱した心境の中に閉じこめられてしまうのである。この噺は五代目古今亭志ん生の持ちネタとして有名であり、息子である志ん朝(いずれも故人)も演じていた。現在では五街道雲助とその弟子の桃月庵白酒も高座にかけているが、雲助も志ん生の長男である故・金原亭馬生の弟子であり、その意味では古今亭系統の噺といっていいと思う。思い切ったカットバックのやり方と、持ちつけない大金を持った貧乏人の心情が滲み出てくる演出などは、志ん生の独壇場と言っていいだろう。実はさん喬の師匠である小さんも「水屋の富」は演じていたはずなのだが、記憶にある限りでは私は聴いたことがない。だからさん喬が誰からこの噺を習ったのかは不明である。

 後半にどんどんサスペンスが高まっていく演出が見事な落ちにつながるのだが、さん喬は最後の一言で見事にその展開を締めくくってみせた。喉から手が出るほどほしかった金が逆に重荷になってしまう皮肉があるので、この噺には価値観の逆転と言ってもいいほどの心理の落差が生まれる。それをわずか数語の落ちで表現してみせる手腕は見事の一言である。さん喬は本所の出身であり、この噺にも子供の頃吾妻橋付近でレモン水を買ってもらった、という枕を振っていた。東京ことばの口調を決して崩すことなく、非日常の世界に迷い込んだ男の悲劇を表現したという点もおおいに評価したいと思う。

 中入り後は小里んの「青菜」で、これも結構な出来。屋敷出入りの植木屋が主に酒肴を振る舞われる。その際主が菜のお浸しを出してくれようとするのだが、生憎と切らしてしまっていて厨房にない。そのことについて奥方が「旦那様、鞍馬から牛若丸が出でましてその名を九郎判官」、主が「では義経にしておけ」というやり取りがある。隠し言葉で「菜はくろう(食らう)てしまって無い」「ではよし(止し)つねにしておけ」の洒落だ。それにすっかり感心して帰った植木屋が女房に「お前にはそんなことは言えまい」と言うと、「言えるともさ」と返される。では、というので近所の者を招きいれて屋敷のやり取りの再現になるという噺である。

「言えまい」「言えるともさ」のやり取りの後には女房が「だから(屋敷の主が植木屋に振る舞った)鯉の洗いを食わせてみな」というくすぐりがあるのだが、小里んはこれを省いて演じていた。小里んが師の芸について語った『五代目小さん芸語録』(中央公論新社)でもこの青菜が採り上げられており、それぞれの登場人物を演じる難しさについて述べられている。鷹揚な旦那をマンガにならないように演じることは難しく、一般人からかけ離れた存在の分限者が自然に出てくるために小さんは相当の稽古を重ねたのだろうと言う。目から鱗が落ちたような思いがしたのは植木屋夫婦のやり取りを「夫婦愛」の顕れだとしたことで、共に年を重ねた夫婦ならではの情がそこに出ているという指摘には納得した。ああ、じゃれているな、と思うのは、植木屋が二人の馴れ初めである見合いについて語るくだりで、なんと動物園での待ち合わせであったという。「カバの檻の前で待たされていたのは、その間に顔に馴染みをつけようとする算段だろう」というような馬鹿馬鹿しい会話なのだが、そこに夫婦の仲の良さを見出すべきということなのだろう。

最後の「首ったけ」も古今亭志ん生の持ちネタだ。吉原噺の一つであり、冒頭でまず懐かしい廓の情景が描かれる。吉原独自の制度として「まわし」があり、一人の妓が複数の男を相手にする。そこで悶着が起きるのを防ぐために「焼餅は野暮だ」などと客に我慢を強いる文化が生まれたのであり、廓噺がセックスという生々しい題材を扱うにも関わらずエロやグロの要素が抑えられている背景には、こうした独自の精神文化をクッションに置いて語られるという事情がある。そうしたことどもを志ん生が実に嬉しそうに語っている音源が、CDとなって残っている。小里んはその原型を忠実に再現し、「蛙の女郎買い」などの基本の小噺も振った上で本篇に入った。

 居職の職人である辰五郎は紅梅という花魁となじみになり、登楼したのだが、その日はなかなかまわしがやってこない。遅くに上がった団体客がおり、夜も遅いのにどんちゃん騒ぎ。それに付いた妓の一人に紅梅がいたのである。心中穏やかではない辰五郎は若い衆を呼んで厭味を言い、紅梅にも文句を言う。ここで本来なら柔らかくとりなすのが妓の役目だろうが、酒が過ぎていたのか紅梅はとんと突き放すようなことを言ってしまう。腹を立てた辰五郎は店を飛び出し、向かいの店に登楼する。そこの若柳という若い花魁と意気投合し、連日のように通うようになる、というのである。野暮とは言われたくないが女が来ないのも癪に障り、という心情が客(特に男性の)の共感を呼ぶ。細かいところだが、若柳と辰五郎が意気投合する理由を、若柳が浅草の出身で辰五郎とは気性が合う、と説明を入れたところも良かったように思う。

 誠に結構な落語会でございました。7、8月は開催がなく、次回のらくだ亭は9月であるとのこと。

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7月5日(土)、立川談慶独演会「談慶の意見だ」まだまだ予約受付中です。
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7月29日(火)、立川流二つ目の会は元・談志直門の3人が集結します。「談志DNA落語会」
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