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珍書『談志 天才たる由縁』のここがひどいよ・その3(落語立川流篇)

 菅沼定憲『談志 天才たる由縁』についての番外レビューである。
(その1)(その2)はこちらから。
談志天才たる由縁

4)落語立川流に関するもの

 これは誤りではないが、あんまりだなあと思った個所である。談志と志ん朝を対比した文章だ。

「志ん朝はこころ優しい噺家でした。でも、彼の弟子から傑出した若手は登場しません。弟子に厳しい立川談志からは、志の輔、談四楼、志らく、談春という優れた輩出されています」(p55)

 志ん朝一門の立場は、とか、いや志ん朝のほうが朝8時集合を義務付けるなど弟子には厳しかったと聞いているけど、とかいろいろあるのだが、それはまあいい(古今亭のファンには許せないだろうが)。
 あんまりだというのは「志の輔、談四楼、志らく、談春」という並びである。これじゃまるで志の輔が談志の一番弟子のようではないか。一門の香盤なんて一般人にはどうでもいいことかもしれないが、少なくとも談志の親友をもって任ずる人としては問題のある表記だ。ここの順番は、正しく書くとこうなる。

「談四楼、志の輔、談春、志らく」

 もちろん談四楼の上にも弟子はいるし、談四楼と志の輔の間にもいる。
 単に不注意なだけか、と思いきや、著者は同じような記述をもう一度後でやっている。

「古い落語界から脱出した談志のもとには、有能な弟子が集まりました。
 まずは立川志の輔です。自分と共演するホール落語で競い合います。
 次は立川談四楼です」(p100)

 どう考えても順番を取り違えているとしか思えない。念のために書いておくが、

 立川談四楼 1970年入門。1975年二つ目昇進。1983年真打昇進。
 立川志の輔 1983年入門。1984年二つ目昇進。1990年真打昇進。

 である。どう考えても取り違える要素はないのだ。これはわざと書いているか、著者が談志以外の立川流の落語家にたいして関心がないかのどちらかだとしか思えない。
 ここで大事なのは談四楼の真打昇進の年である。1983年は談志の落語協会脱退、立川流設立の年だからだ。つまり談四楼は、立川流創設後の真打第一号なのである(旧名小談志も同時)。
 談四楼についてはおかしな記述が続いている。

「彼(談四楼)は師匠のわがままと弟子の苦労をユーモア小説に書きました」(p101)

 これは間違い。談四楼のデビュー作「シャレのち曇り」のことを指していると思われるが、同作は談志の行状ではなく、前述の真打試験騒動の顛末を書いたものだからだ。
 菅沼定憲、さては読まずに書いてるだろ。
 談四楼以外の弟子についてもおかしなことが書かれている。

「師匠の練馬の自宅の庭には大きな池があり、美しい金魚が泳いでいます。でも、師匠が餌を与えないものですから金魚は痩せ細ります。談春はこれを「赤めだか」と称して、それをタイトルにした本を書きました」(p106)

 これについては、立川談春『赤めだか』(新潮社)を引用したほうが早い。

「庭の水がめに飼っている金魚は、金魚とは名ばかりで、いくらエサをやってもちっとも育たなかった。僕達は、あれは金魚じゃない、赤めだかだ、と云って馬鹿にしていたが、大きくならないところも談志好みらしく可愛がっていた」(p51)

 菅沼定憲、『赤めだか』もさては読んでないだろ。
 最後に気になったのは、立川流を除名された快楽亭ブラックについてのくだりだ。

「かつて、アメリカで落語を夢見た談志はブラックに期待しました。でも、残念ながら彼の落語はお粗末でした。おまけに、金にだらしない男で、師匠の口座から勝手に金を引き出したため破門になり、関西へ流れて桂三枝(現・文枝)のところへ身を寄せました。そして、高座に上がるようになって、談志の悪口を喋りまくり、短期間ではありますが人気を得ました。でも、所詮はゲテモノで終わりました」(p106)

 快楽亭は怒っていいと思う。外道真打と言われた時代もあるくらいだから「ゲテモノ」には怒らないだろうが「短期間ではありますが」とか「落語はお粗末」はないだろう。落語がお粗末な人間が、立川流を除名されてフリーになって食っていけるはずがない。好き嫌いはあるが、快楽亭ブラックは古典から新作までこなす腕のいい落語家である。もっとも菅沼氏のようなご高齢の方には趣味に合わないかもしれないが。

 以上である。目についたところを抜粋しただけなので、細かく見ていけばまだまだ間違いはあるかと思う。でも、疲れたのでこれでおしまい。
 くり返しておくが、『談志天才たる由縁』は、決して駄目な本ではない。珍しい談志の下半身事情などにも踏み込んでかいており、ファンなら一度目を通してもいいとは思う。
 ただし、これを元に談志を語る人が出てくるのはやはり嫌だ。著者の言う「談志は人情噺を志向していた」というような珍説はともかく、上に書いたように内容に事実誤認が多すぎるからである。これは著者である菅沼定憲の責任であると同時に、きちんと校正作業を行わなかった版元彩流社の罪だと私は考える。もう少しきちんとしようよ。
 オチはない。これで終わる。終われ。解散!

以下のとおり杉江松恋プロデュース落語会を予定しております。
2/20(金)19:00~ 立川談慶独演会「談慶の意見だ #4」ゲスト:玄秀盛(公益社団法人 日本駆け込み寺代表) トリネタ:「子別れ」

2/21(土)21:00~ 「落語立川流二つ目1年生、立川笑二ネタおろしの会」

2/22(日)1:00~ 立川談四楼独演会「オールナイトで談四楼7 終電から始発まで噺っぱなし」

2/24(火)19:30~ 「ヲタク落語の星・春風亭吉好参上!ゲスト:會川昇(脚本家)」

珍書『談志 天才たる由縁』のここがひどいよ・その2(立川談志篇)

前回に引き続き、菅沼定憲『談志 天才たる由縁』(彩流社)の見逃せない事実誤認について。
談志天才たる由縁

3)立川談志に関するもの

 これもひどい与太である。

「真打になった談志は本も執筆します。彼が二十八歳のときです。『あらイヤーンナイト』(有紀書房)、これは自分が演じない色物芸人、つまり漫才師や紙切りやボーイズのギャグを記録してまとめた本です。たとえ自分が演じることがなくても、優れたギャグは記録し、保存しておこうという彼の勉強ぶりがうかがえます」(p40)

 手元にその『あらイヤーンないと』があるので、ためしに登場する芸人の名を書き出してみよう。落語家と色物に分けて列挙する。高座名などはすべて1965年当時のものだ。駄洒落の題材にされたものなども拾ってある。また、表記は本のママである。

(落語家)柳亭小痴楽、月の家円鏡、古今亭志ん生、古今亭志ん好、鈴々舎馬風、橘家円太郎、春風亭柳朝、柳家三語楼、三升家小勝、三遊亭円歌、林家正蔵、三笑亭可楽、三遊亭百生、三遊亭円生、柳家小せん、三遊亭小円馬、春風亭柳好、春風亭柳昇、古今亭志ん朝、

(色物)小野栄一、泉和助(を色物に分類するのは間違いだが、まあ、ここでは便宜上)、牧野周一、一龍斎貞丈、一龍斎貞花、古井伊吉、神田小伯山、エンタツ・アチャコ

 このとおり。落語家19人、色物芸人7人である。どう考えてもこれは「色物芸人の芸を記録した」本ではない。ボーイズ芸人なんて一人も出てこない。だいたい紙切芸人の芸をどうやって話芸の談志がまとめるのだろうか。
 正解を書いてしまうと『あらイヤーンナイト』は、談志がその後何冊も出すことになる「ジョーク集」の嚆矢となった本なのである。同年に刊行した『現代落語論』は「笑わないでください」という含羞のある副題が示すように、洒落抜きで落語を正面から論じた本だが、こちらは洒落のめす一冊。後の『談志楽屋噺』などに通じる内容でもあり、楽屋の裏話集ともいえる。ちなみに、後に毒蝮三太夫の逸話として語られることになる「談志をホームにつきとばそうとした毒蝮に談志が『死んだらどうするんだ』と怒ったら『洒落のわからないやつだったと言ってやる』と返された」という一件は同書では2代目春風亭梅橋となって酒毒のために夭折した初代柳家小痴楽のものとして紹介されている。
 なお『現代落語論』について著者はこんなことを書いている。

「サブタイトルに「笑わないでください」とあります。この頃から、落語は笑うものではない、むしろ庶民の人情噺に涙を流してほしいという談志の心意気がうかがえる本です」(p40)

 長年の談志ファンとして頭の上に三つも四つも「?」が浮かんでしまう一文なのだが、このくだりは著者の考えであり、本全体の主題にも関わるものなので、ここでは「そうとも思えないですけどね」と書いておくに留める。

 もう一つ、それは初耳なんだけど、ということを書いておく。談志が落語協会を脱会し、師匠である5代目柳家小さんに破門されることになった経緯について、著者はこう書く。

「(前略)グループ芸に押されて個人芸が目立たなくなったことになによりも危機感を感じたのは落語の師匠たちです。
 そこでなにをしたのかと申しますと、弟子を増やすことです。しかも、弟子入りしますと、小遣いを与え甘やかしました。さらに、新宿の末広亭や上野の鈴本演芸場の客を増やすため、入ったばかりの新弟子たちをすぐに真打ちに昇格させたのです。
 これに立川談志は不満を唱えました。
 談志「下手な真打ちばかりつくったら落語は堕落する」
 小さん「師匠のいうことが聞けないのか!」

 談志「納得できません」
 小さん「じゃあ、辞めろ!」
 談志「わかりました」
 立川談志は即刻辞表を柳家小さんと落語協会に出しました」(p99~100)

 ひゃあ!
 落語協会を揺るがした三遊協会問題も、真打試験問題も全部なくなってる!
 一応整理しておくと、すべての発端は演芸ブームのために入門者が増え、前座・二つ目がだぶついてなかなか真打になれなくなっていたことだ。そこで当時の協会会長であった柳家小さんはいっぺんに10人を昇進させる大量真打制度を導入するのだが〔ちなみに談志はその賛成派〕、異を唱えた前会長の三遊亭圓生が1978年に協会を脱会する騒ぎが起きる。ここでできた落語三遊協会が現在の円楽一門会だ。
 騒動終焉後、小さん会長は真打試験制度を導入する。しかし試験の評価基準が不明であったり、よくわからない合否があったりと不評で、1983年に談志門下の談四楼、小談志(後に喜久亭寿楽。故人)が落とされて、腕の劣る者が合格するという事件が起きる。これに激怒した談志が弟子を引き連れて脱会し、立川流を創設した、というのが一応の正史のはずである。だいたい、落語家が試験なんておかしいと渋る三遊亭好生(後に春風亭一柳。故人)と談志は新聞紙上で論戦したぐらいで、協会時代には「真打などは看板ぐらいに心得ておけ」という考え方だったはずなのだ
 この歴史捏造には申し訳ないが呆れるしかない。
 だいたい「辞表を柳家小さんと落語協会に出しました」って。協会脱退と小さん一門からの離脱についての「辞表」ということなのか。落語家が師匠から離れるときに「一身上の理由で」なんて書くわけがないではないか。ちなみに談志述べるところの真相は「協会離脱は小さんも初めは了解していたが、後に間に入って讒言するものがあって破門された」である。

 そろそろ疲れてきたが、あと1回だけ続く。
(つづく)

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2/21(土)21:00~ 「落語立川流二つ目1年生、立川笑二ネタおろしの会」

2/22(日)1:00~ 立川談四楼独演会「オールナイトで談四楼7 終電から始発まで噺っぱなし」

2/24(火)19:30~ 「ヲタク落語の星・春風亭吉好参上!ゲスト:會川昇(脚本家)」

珍書『談志 天才たる由縁』のここがひどいよ・その1(エンタメ・落語篇)

 遅ればせながら菅沼定憲『談志、天才たる由縁』(彩流社)を読んだ。
談志天才たる由縁

 構成作家の著者は1936年生まれと、立川談志とは同い年で、二つ目の柳家小ゑんから親交があったという。その視点から語られた月旦で、芸評というよりは人物評判記であり、他では聞けない、読めない話が多数収録されている点がよい。特に夭折した天才プロデューサー・湯浅喜久治の人となりや談志との関係が書かれたものは他にはない。また、毒蝮三太夫誕生の瞬間について語っている点も貴重である。

 そういった美点は多々あるので談志ファンは読んで損のない本だが、問題はこの本、誤字・脱字と事実誤認があまりにも多く、同人誌と見紛う内容なのである。その点が気になりすぎ、本来は「水道橋博士のメルマ旬報」の「マツコイ・デラックス」書評のために詠み始めたのに、見送ってしまった。単なる誤記なら見逃せるのですが、元放送業界にいた方とは思えない致命的なミスが散見されるのでねえ。彩流社はきちんと校正しようよ。せっかくの内容が、台無しとは言わないけど五割方魅力を失ってしまってるよ。

 というわけで、『談志、天才たる由縁』の気になった個所をここに列挙しておく。誤字・脱字のたぐいは挙げだすときりがないので、とりあえずは事実誤認と思われる個所について。

1)エンターテインメント全般に関するもの

「映画『脱出』の主題歌『アズ・タイム・ゴーズ・バイ』だ」(p17)

 まずこれ。映画ファンならずとも気づくところで「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」は1942年製作の『カサブランカ』の主題歌である。『脱出』は1944年の製作で、ハンフリー・ボガートとローレン・バコールが出会うきっかけを作った作品。この個所は談志の台詞なので、『本人がそう言ったんだ』という言い訳も成り立つかと思うが、洋画に関しては異常なほどの記憶力を誇った談志がそんな基本的な間違いをするとは考えられない。
 とにかく、こういう記憶違いをそのまま書いた文章が多すぎるのである。
 ここも読んでいて盛大につんのめった。

「一九七〇年代――、
 テレビジョンは二十四時間放送をはじめました。内容は古いドラマやドキュメンタリーの再放送や政治や経済の評論家のトークショー。田原総一朗が司会する「朝まで生テレビ」が好評でした」(p44)

 え?「朝まで生テレビ」って1970年代から始まってたの? とびっくりしたが、そんなことはない。1987年放送開始のはずである。テレビ史は専門ではないので迂闊なことがかけないが、24時間放送が行われるようになったのは少なくとも1980年代に入ってからで、その是非が議論になったこともあったはずだ。私は東京都の生まれだが、子供のころにいわゆる「砂嵐」を観ている。放送休止時間があったからこそである。上の文章も「二十四時間放送を始め、やがては『朝まで生テレビ』のような人気番組も」というような文意だとしたら問題ないのだが、それにしても乱暴すぎるだろう。
 この記述もおかしい。

「七〇年代以来、テレビジョンのパワーが強力になり、そこにグループ・コメディが発達します。ハナ肇とクレージーキャッツや、いかりや長介とザ・ドリフターズなどです」(p99)

 これだと両グループともテレビが生み出した人気者のように見えてしまって気の毒だ。ザ・ドリフターズなどは1966年のビートルズ来日時の前座まで務めているのに。
 言うまでもなく両グループとも1960年代のジャズ喫茶での演奏などで人気を博してのしあがってきたバンドマン出身である。ザ・ドリフターズ(『いかりや長介の~』と名乗っていた時期はなかったのではないか)の「8時だョ!全員集合」の開始は1969年だからいいとしても、ハナ肇とクレージーキャッツがテレビにグループ出演していた時期は1960年代のはずだ。「おとなの漫画」が1964年に放映終了し、「シャボン玉ホリデー」も1972年には終わっているのだから。

2)落語に関するもの

 間違いというわけではないが、以下の紹介の仕方はひどい。小ゑん時代の談志が演じた「芝浜」についてのものである。

「ある日、魚屋の男が浜で大金の入った財布を拾います。これは神様のおぼしめしだ、と感じた男は翌日から心を入れ替えて仕事に励みます。そして、家に帰ると妻が土下座しています。大金の入った財布を失くしてしまった、ということです。「いいさ、オレはしっかり働くから」と夫。「ありがとう」と泣く妻。じつは財布を失くしたというのはウソで、妻は夫が金に溺れるのをおそれたのです」p23

 私の知っている「芝浜」となんか違う! もし道徳の教科書に「芝浜」が載ることになったらこういう話になるのだろうか。だいたい「お前さん、起きとくれよ」のくだりが無いので「芝浜」のもっとも大事な「亭主が夢を見たことにして妻が騙す」という構成が消えてしまっているではないか。また、「いいさ、オレはしっかり働くから」の台詞は「芝浜」で聞いたことが一度もない。エンターテインメントに必要な「落として上げる」がこれでは成立せず、亭主が勝手に更生したことになる。こんなつまらなそうな「芝浜」紹介は生まれて初めて見た。
 もう一つ、乱暴だな、と思ったもの。

「庭で弟子を迎えた談志はいきなり「孝行糖」を演じはじめます。これは孝行糖という変な菓子を売り歩くナンセンスな落語です。「孝行糖、孝行糖。テンツクツ、ステテンテン」という強引なサゲで終わります」(p89)

 いや、それじゃサゲられないって。
 たしかに「孝行糖」は与太郎が鳴り物入りで飴を売り歩く噺ではあるが、下げはきちんと地口になっている。わけあって侍に棒で叩かれた与太郎が「どこを叩かれた」と聴かれて「ここと、こことー」というのが「孝行糖」の洒落になっているというオチだ。くだらないとは思うけど、強引ではないだろう。それにサゲには鳴り物は入らない。

  これだけでもかなり脱力されたと思うが、ひどいのはこれからなのである。
(つづく)

以下のとおり杉江松恋プロデュース落語会を予定しております。
2/20(金)19:00~ 立川談慶独演会「談慶の意見だ #4」ゲスト:玄秀盛(公益社団法人 日本駆け込み寺代表) トリネタ:「子別れ」

2/21(土)21:00~ 「落語立川流二つ目1年生、立川笑二ネタおろしの会」

2/22(日)1:00~ 立川談四楼独演会「オールナイトで談四楼7 終電から始発まで噺っぱなし」

2/24(火)19:30~ 「ヲタク落語の星・春風亭吉好参上!ゲスト:會川昇(脚本家)」