珍書『談志 天才たる由縁』のここがひどいよ・その2(立川談志篇)


前回に引き続き、菅沼定憲『談志 天才たる由縁』(彩流社)の見逃せない事実誤認について。
談志天才たる由縁

3)立川談志に関するもの

 これもひどい与太である。

「真打になった談志は本も執筆します。彼が二十八歳のときです。『あらイヤーンナイト』(有紀書房)、これは自分が演じない色物芸人、つまり漫才師や紙切りやボーイズのギャグを記録してまとめた本です。たとえ自分が演じることがなくても、優れたギャグは記録し、保存しておこうという彼の勉強ぶりがうかがえます」(p40)

 手元にその『あらイヤーンないと』があるので、ためしに登場する芸人の名を書き出してみよう。落語家と色物に分けて列挙する。高座名などはすべて1965年当時のものだ。駄洒落の題材にされたものなども拾ってある。また、表記は本のママである。

(落語家)柳亭小痴楽、月の家円鏡、古今亭志ん生、古今亭志ん好、鈴々舎馬風、橘家円太郎、春風亭柳朝、柳家三語楼、三升家小勝、三遊亭円歌、林家正蔵、三笑亭可楽、三遊亭百生、三遊亭円生、柳家小せん、三遊亭小円馬、春風亭柳好、春風亭柳昇、古今亭志ん朝、

(色物)小野栄一、泉和助(を色物に分類するのは間違いだが、まあ、ここでは便宜上)、牧野周一、一龍斎貞丈、一龍斎貞花、古井伊吉、神田小伯山、エンタツ・アチャコ

 このとおり。落語家19人、色物芸人7人である。どう考えてもこれは「色物芸人の芸を記録した」本ではない。ボーイズ芸人なんて一人も出てこない。だいたい紙切芸人の芸をどうやって話芸の談志がまとめるのだろうか。
 正解を書いてしまうと『あらイヤーンナイト』は、談志がその後何冊も出すことになる「ジョーク集」の嚆矢となった本なのである。同年に刊行した『現代落語論』は「笑わないでください」という含羞のある副題が示すように、洒落抜きで落語を正面から論じた本だが、こちらは洒落のめす一冊。後の『談志楽屋噺』などに通じる内容でもあり、楽屋の裏話集ともいえる。ちなみに、後に毒蝮三太夫の逸話として語られることになる「談志をホームにつきとばそうとした毒蝮に談志が『死んだらどうするんだ』と怒ったら『洒落のわからないやつだったと言ってやる』と返された」という一件は同書では2代目春風亭梅橋となって酒毒のために夭折した初代柳家小痴楽のものとして紹介されている。
 なお『現代落語論』について著者はこんなことを書いている。

「サブタイトルに「笑わないでください」とあります。この頃から、落語は笑うものではない、むしろ庶民の人情噺に涙を流してほしいという談志の心意気がうかがえる本です」(p40)

 長年の談志ファンとして頭の上に三つも四つも「?」が浮かんでしまう一文なのだが、このくだりは著者の考えであり、本全体の主題にも関わるものなので、ここでは「そうとも思えないですけどね」と書いておくに留める。

 もう一つ、それは初耳なんだけど、ということを書いておく。談志が落語協会を脱会し、師匠である5代目柳家小さんに破門されることになった経緯について、著者はこう書く。

「(前略)グループ芸に押されて個人芸が目立たなくなったことになによりも危機感を感じたのは落語の師匠たちです。
 そこでなにをしたのかと申しますと、弟子を増やすことです。しかも、弟子入りしますと、小遣いを与え甘やかしました。さらに、新宿の末広亭や上野の鈴本演芸場の客を増やすため、入ったばかりの新弟子たちをすぐに真打ちに昇格させたのです。
 これに立川談志は不満を唱えました。
 談志「下手な真打ちばかりつくったら落語は堕落する」
 小さん「師匠のいうことが聞けないのか!」

 談志「納得できません」
 小さん「じゃあ、辞めろ!」
 談志「わかりました」
 立川談志は即刻辞表を柳家小さんと落語協会に出しました」(p99~100)

 ひゃあ!
 落語協会を揺るがした三遊協会問題も、真打試験問題も全部なくなってる!
 一応整理しておくと、すべての発端は演芸ブームのために入門者が増え、前座・二つ目がだぶついてなかなか真打になれなくなっていたことだ。そこで当時の協会会長であった柳家小さんはいっぺんに10人を昇進させる大量真打制度を導入するのだが〔ちなみに談志はその賛成派〕、異を唱えた前会長の三遊亭圓生が1978年に協会を脱会する騒ぎが起きる。ここでできた落語三遊協会が現在の円楽一門会だ。
 騒動終焉後、小さん会長は真打試験制度を導入する。しかし試験の評価基準が不明であったり、よくわからない合否があったりと不評で、1983年に談志門下の談四楼、小談志(後に喜久亭寿楽。故人)が落とされて、腕の劣る者が合格するという事件が起きる。これに激怒した談志が弟子を引き連れて脱会し、立川流を創設した、というのが一応の正史のはずである。だいたい、落語家が試験なんておかしいと渋る三遊亭好生(後に春風亭一柳。故人)と談志は新聞紙上で論戦したぐらいで、協会時代には「真打などは看板ぐらいに心得ておけ」という考え方だったはずなのだ
 この歴史捏造には申し訳ないが呆れるしかない。
 だいたい「辞表を柳家小さんと落語協会に出しました」って。協会脱退と小さん一門からの離脱についての「辞表」ということなのか。落語家が師匠から離れるときに「一身上の理由で」なんて書くわけがないではないか。ちなみに談志述べるところの真相は「協会離脱は小さんも初めは了解していたが、後に間に入って讒言するものがあって破門された」である。

 そろそろ疲れてきたが、あと1回だけ続く。
(つづく)

以下のとおり杉江松恋プロデュース落語会を予定しております。
2/20(金)19:00~ 立川談慶独演会「談慶の意見だ #4」ゲスト:玄秀盛(公益社団法人 日本駆け込み寺代表) トリネタ:「子別れ」

2/21(土)21:00~ 「落語立川流二つ目1年生、立川笑二ネタおろしの会」

2/22(日)1:00~ 立川談四楼独演会「オールナイトで談四楼7 終電から始発まで噺っぱなし」

2/24(火)19:30~ 「ヲタク落語の星・春風亭吉好参上!ゲスト:會川昇(脚本家)」